田能村直入「呑谷瀑布」について
令和2年度可部屋集成館夏季企画展 「鉄師が育んだたたら文化~櫻井家を訪れた南画家田能村直入~ は、9月27日(日)までです。
展示してある作品は、直入が明治11年・12年と、ここ櫻井家に逗留して画いた作品であり、明治当初の櫻井家の佇まいや周囲の自然、集落の様子などを今に伝える貴重なものです。
周囲の自然を画いた作品の一つに、「呑谷瀑布」とう三幅の作品があります。
この作品を描くために直入が歩いた(登山した)ルートを探ってみました。
田能村直入は、明治11年の10月に櫻井家当主(10代直達)の案内で「呑谷の瀑布」を訪ね、その源流(右側)と下流(左側)そして、そのいきさつや感想、漢詩を「記」(中央)として残しています。
これによると
瀑布見学は、明治11年10月26日で、参加者は櫻井家当主直達、田能村直入、清水律郎(櫻井家漢方医 原隣斉の直弟子)、内田伝之助(同)、竹霞(直入門人) 、道案内は木奈崎兵重 でその日の午後から御阪山(猿政山)のふもとの内尾谷から花の谷に入り、途中、イザナミノミコトを祀る穴神様、スサノオノミコトの領域である巌窟(柱状節理)などを経由して呑谷の瀑布にいたっています。
源流の画をよく見ると、最上流の滝の上に案内者ともう一名の参加者が登り、滝のふもとに直入とおぼしき人の姿を見ることができます。
案内者 (上段から)「上にも、まだ美しい滝が2つありますよ。がんばってください。」
直入一行「いやいや、十分に見せていただきました。少し休ませてください。」
と言ったところでしょうか。
帰りはかなり難儀をしたようで、直入さんは「両岸に路はなく、枯れ木が倒れふさいで、しかも谷川の中ほどは藤蔓が足にまとわりつき老脚ながら水に入って石を踏み岸に飛んで右、左と千辛万苦し、お互いに助け合うことすらできない。」と記しています。
夕刻、流れが緩やかなところに出て、たき火をしてお茶を楽しみ、下山。下山後 蕎麦やお酒を楽しんだようです。この時 既に日が落ちており、最初に下山したメンバーが心配して迎えに来ています。右手の二人が迎えか?
今回、猿政山を活動拠点とする「みとの会」の皆さんの協力で、そのコースを地図に落とし、現在の写真もあわせて展示しています。
お楽しみください。