櫻井家住宅 日本庭園の概要


重要文化財 櫻井家住宅

櫻井家は島根県奥出雲町にある戦国の武将塙団右衛門の末裔家です。

大坂夏の陣で始祖討死の後、嫡男直胤は母方の姓「櫻井」を名乗り広島の福島正則に仕えましたが、同家改易の時広島の郊外「可部郷」に住み鉄山業を営みました。

正保元年(1644)3代直重は出雲領上阿井の地に移り、屋号を「可部屋」と呼び ”菊一印” の銘鉄を創り出しました。

また、「菊一」は、日本最高の鉄砲鍛冶集団である「国友」の年寄脇国友一貫斎藤兵衛が最も良い鉄砲地鉄として認め、松江藩より「御鉄砲地鉄鍛方」も命ぜられていました。

その業績は松江藩に認められ、やがて5代利吉は「鉄師頭取」の要職を拝命し広く地域内の鉄山業を総取り仕切りました。

現存する建物のもっとも古いものは享保20年(1735)の記録があり、母屋も元文3年(1738)に建てられたものです。

住宅は国の重要文化財、県の有形文化財に指定されています。

 

松平不昧公命名の「岩浪の滝」

また、歴代の藩主の藩内巡視の折には本陣宿となり、藩主の来駕が随所に窺われるお成りの間と庭は7代藩主治郷公(松平不昧公)お成りの時に造られました。

治郷公は、滝を「岩浪」と命名され書も遺っています。

池の畔の草庵は南画家田能村直入が明治11・12年当家に逗留したおり、多くの作品と共に残したものです。

家の南側を流れる川を挟んで沢山の紅葉がありますが、これは5代の室が京都から輿入れの際に持ってきて植えたものと伝わり、平地より少し遅い芽吹き、ゴールデンウイーク頃の新緑、夏に向かい徐々に深まりゆく緑、秋になると目に彩やかな赤へ、と一年を通してお楽しみいただけます。