鉄師が育んだたたら文化 ~櫻井家を訪れた南画家田能村直入~ 開催中
2020年08月10日
田能村 直入(たのむら ちょくにゅう・文化11年(1814)~ 明治40年(1907)は、幕末から明治時代にかけて活躍した南画家で、日本最後期の文人画家として知られています。
直入は明治11年・12年と櫻井家に逗留し多くの作品を残すとともに、煎茶道や俳句など様々な分野で当主(10代直達)と文化的な交流を深めました。
直入は当主が直入のために用意した建物を「一丈庵」と呼びここで多くの作品を描いていますが、残された作品には当時の様子が細やかに画かれています。
『清聴軒之図』 ~直入が画いた明治11年の櫻井家庭園~
令和2年7月の櫻井家庭園
左が「岩浪(がんろう)」の滝、右手の山が「寿宝山(じゅほうせん)」 いずれも松平不昧公の命名。中央が直入の意匠による煎茶茶室「掬掃亭(きくそうてい)」。
『槙原鈩』では
たたら製鉄の製鉄炉のあった高殿や、そこで働く人たちの住居(山内)や砂鉄や製品を運ぶ馬も画かれています。当時、槙原鈩には60世帯、200名以上が暮らしていました。
『槙原鈩』部分拡大
『内谷真景』には、当時の櫻井家や内谷鍛冶屋の賑わい、周囲の景観、たたら製鉄という鉱業と農業が一体となった奥出雲ならではの暮らしが画かれています。
今回の展示では作品だけで無く、一丈庵に残された直入の画材や諸道具、煎茶道に関する資料なども展示しました。
杖や扇などの愛用品
直入は、煎茶を愛好、その普及にも努力しています。直入愛用の煎茶道具や、文久2年(1862)に直入が主催し、近世以降の煎茶会の規範となった「青湾茶会」に関する資料も展示しています。